故郷女川の現状を考えてみる(1)。(2015/4/26)

まずは昨今の状況を整理してみる

震災から4年も経つし、当時からは様相がだいぶ変わっています。良し悪しはともかく、ですが。。

これなくしては語れない女川原発は、防潮堤を嵩上げしつつあるものの、「次の地震でも冷温停止する証拠を見せろ」などと言われて、再稼動までの道のりは厳しそうです。が、国家としては原発を使っていくつもりであろうことは、世間を見てればわかることでもあります。

冷温停止というのは、現状も冷温停止ですけども、当然、また、大地震が来て大津波が到達して電源喪失すれば、爆発するわけですね。だから、ただ、原発を止める、廃炉にする、とか言っても、そうなる可能性があります。タービンを回して電気を起こしてるかどうか、だけでは計れないです。

方針を決めることは結構ですが、だからといって、福島第一がこれだけ手間取っているのですから、そのすぐ後に作業するとしても数十年後でしょう。それまで、石油や再生エネルギーで作った電力で冷やし続けなければならないんですね。

だったら、自分で使う電気ぐらい自分で起こしてもらったらいいんじゃないかと僕は思うのですが、これまたどう取り扱っていくのか明確でない放射性廃棄物を増やすことになるので、そこは気になるところですけど。

そういう大きなテーマはこれぐらいにして、地域の動きとしては下記のような状態でしょうか。順不同です。

産業的には、漁業の町なので、それなりのインフラが整備されてきています。港もきれいになって、冷凍冷蔵倉庫施設であるマスカーを作ってもらい、製氷貯氷施設もできて、水揚げ能力が増強されてます。離島航路も再始動しています。

インフラ系としては、女川駅が開業し、石巻全線が開通。宿も増えて、観光客対応もばっちり、といいたいところですが、現時点ではどちらかというと復興工事の作業員向けの方が活況なんだろうと思います。
※それにしても、空室状況が更新できないなら最初からこんなページを作らなきゃいいのにね。。

産業としては、復興支援から生まれた女川カレー、スペインタイルのみなとまちセラミカ工房、onagawa fishのAURA、女川丼のお魚いちばおかせい、活穴子天丼の活魚ニューこのり、など、新しいもの、前からあるもの、様々なお店が活動しています。

文化的なところでは、今後どうなっていくのか、事業継続できるのか予断を許さないものの、震災以降活動を続けている女川さいがいFMがあり、スプレーアートのD-BONS(ディーボンズ)がいたり、観光との絡みだと、竹の浦はなかなかのダイビングスポットらしく(僕はさっぱりわかりませんけど。沖縄もダイビングが盛んですけど、地元の人はあまり興味ないみたいで観光客がメインですよね)、10万本の桜を植える活動もあります。

ビジネス的な大きい動きとしては、地産商品をブランディングして、水産業を活況化させようというAGAIN(あがいん)女川が発足し、そちらとの関係はよくわからないのですが、JR東日本と協力して進められている碧(あお)のかもあります。様々なお店を面白いコピーで表現し、アピールする女川ポスター展も開催されました。

そういった中からこれからが気になる動きを考えていきます。

※ところで、こんな情報を見つけたのですが、機能してるんでしょうか。「観光のまち おながわ」というものらしく、4箇所でWi-Fi接続できるとか。女川の情報を発信するのが目的らしく、決まったサイトにしかアクセスできないのかもしれませんね。知らなかったので使ったこともないし、評判を聞いたこともないですが、どうなってるのでしょうか。

震災遺構

ずいぶん、話題になって議論にもなった震災遺構としての保存問題も、沈静化してきてるように思います。女川の場合、横倒しになった元交番のビルを残すらしいです。

当初、倒れたビルが3棟あって、広島の原爆ドームのようにしようという活動もありましたが、地球に2箇所しかない原爆被害の地と違って、津波で被災した土地は広範囲に渡っていて、倒れたビルを残してもどれだけの価値を産み出すかわかりません。

僕がお勧めしたかったのは、表題部分に写真を載せたマリンパル女川のビルです。ほぼすっぽり波に洗われてしまい、中はぼろぼろになったものの、しっかりした作りだったので外側はしっかり残ってました。それを海側から臨むと、かなりのインパクトを与えられると思いませんか?

地盤沈下と相まって、海と同化した趣は、見る価値があると思うのです。

残念ながら、早期に取り壊しが行われ、今となってはまるでなかったかのようです。神戸の場合は、メリケン波止場が、震災メモリアルパークとして保存されていますが、それに近い形にしておけば良かったと思いますね。なくなってしまったので、どうしようもないですが。

左の写真は、マリンパルの内側から見た風景です。まるで、水の都、とは言い過ぎでしょうか。ぶらぶら見て回ると、美的な価値も多くあるように僕にいは見えました。

その威容がGoogle ストリートビューに残っていました。

対して、残すことにした元交番は下の写真です。

こちらも、Google ストリートビューからです。

震災遺構有識者会議では、「ぜひ保存すべき価値がある」と評価されていますけど、どうみてもショボイです。ショボ過ぎます。

これを移動して、新設する公園の真ん中に置くらしいです。

「鉄筋コンクリート造りの建物が津波で倒された世界的に珍しい例」で、横倒しになった視覚的なインパクトの強さがあるとか。有識者の方の感覚がまったく理解できないですね。基礎工事に欠陥があったのかもしれませんし。

嵩上げ

この記事を書いている時点では、嵩上げ工事が絶賛実施中です。とにもかくにも、せっまい道路をでかいダンプトラックが行き交っていて、自家用車を走らせるのが怖いのなんのって、ド下手ドライバーにとってはとっても大変です。

朝の女川街道(398号線)は、工事関係者の車が切れ目無く続き、歩行者が向こう側に渡るのも一苦労です。

おかせいや、ニューこのり、その先の高白浜のゆめハウスへ行くにしても、トラックと何度もすれ違いながらです。一番近いおかせいであっても、徒歩で行くのはしんどいです。それって観光的にどうなんだろうというのもあります。JRが通ったにしても、車がなければ回りづらい。そして、車があっても運転しづらい。ですが、ここでは、あまり触れないでおきます。

左の写真で、矢印で示した丸で囲った部分が、「ここまで土を盛りますよ」という印の看板なんですよ。この高さまで土を盛るというのはかなりのものです。熊野神社への入り口となる階段を見ていただくと何十段かあって(一段の高さはそれほどではないです)、されにその上に設定されてます。

この嵩上げ工事はいつまで続くんでしょうか。町の復興計画を見ても、そのへんがさっぱりわかりません。工事内容が詳細化されていて、それごとに、平成27年度、といったことが書いてあるのですが、全部を追っていくわけにはいきません。そういうのは町議会の先生方におまかせすることにして、大雑把にどうなるのかぐらい記して欲しいものです。サマリーというものですね。

さて、嵩上げ工事では、海岸から段階的に高くなっていきます。

震災では、低いところに水が殺到し、さらに、狭いところに集中した印象があります。

嵩上げでは全体的になだらかになるものと思います。ということは、ビーチに寄せる波のように、すーっと水が上ってくるのではないでしょうか。ということは、津波の到達地点は、次も同程度ということになりますね。

報道されている記事を見ると、でかい防潮堤を作って海が見えなくなるより、嵩上げで減災を選んだということのようですけど、だったら、嵩上げなしでも良さそうに思うんですが..。

住宅は高台移転させるわけだし、さっさと街を作っても良かったような気もするのですね。どんどん人口も減ってますし、まだ登録上の住人になっている人たちも、補償や保有地の問題がすっきり片付けば、名実ともに外に出て行くかもしれません。

より小さい津波も想定できるので、嵩上げ自体が無駄だとは言えませんが、工事をやりたいさせたい経済を回したいという妄念もあるのではないかと思っています、僕は。

続く。。

Apr 26, 2015
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