過疎地域では大概、買い物弱者とされる人たちがいると思う。だいたい、そのように聞く。
車を自分で運転したり、家族が運転してくれたりする人はいいのだが、そうではない人たちは非常に困った状態にある。
振り返ってみると、昔々は、近所の顔見知りの小さい八百屋、肉屋、雑貨屋で購入していたわけだが、車社会、核家族化、効率化が進むと、車で大規模スーパーに向かい、安売りされている商品を購入するという生活様式に変貌した。その結果、近所の小売店が消滅した。
そして、それは、住民が選んだ結果でもある。
大規模スーパーは古くなったものをどんどん廃棄し、いつも新鮮。残った小売店は、仕入れたものは売らなければならないからギリギリまで待つ。その結果、近所の八百屋は品が悪いといった評判が立ったりもする。
震災により、買い物弱者がさらに多くなったが、その分、一時的に周囲の対応は良くなったものと思う。
仮設住宅では、巡回販売の車が回ってきたり、身近に仮設の商店街ができたり、イベントで他の地域から食品を売りに来てくれたりした。
仮設住宅近くに住む住人たちにとっても、これらは役に立った。
今は、震災復興住宅が次々に完成し、仮設住宅から出て、生活レベルは上がっているのかとも思うが、逆に買い物は難しくなった。地域にもよるのだろうが、住宅が点在している地域では、巡回販売もままならないし、車を動かせる世帯は当たり前のように大規模スーパーへ出向くから、売上を維持するのも難しい。
仮設住宅から引っ越せたのに、買い物をするために、仮設住宅の広場まで歩くケースもあるようだ。
鉄路、バスの運行が便利で頻繁であればいいが、そんなことは望むべくもない。おそらく、かなり恵まれている女川町であっても、バスで買い物に出向くのは困難が多い。
平日であれば、石巻方面行き往路は6本、復路は4本。万石浦イオン石巻東店であれば「鳥揚」、ヨークベニマル湊鹿妻店なら「東伊原津」バス停を利用することになる。それぞれ、始発バス停からであれば、490円、660円である。ちなみに、終点の石巻駅前まで行っても大型スーパーは存在しない。
JR線の場合、万石浦駅を下車すると、イオン石巻東店まで、距離900mで徒歩11分。なんとかなりそうだが、うちの実家から女川駅までは1.7kmで徒歩22分(かさ上げ工事の進捗に伴ってどんどん道路の位置が変わっているので、今日現在のGoogle Mapによる数値を採った)。朝晩元気に散歩をこなすぐらいの人でないと厳しい。
そして、うちの母親などは、まだ自分で車を運転して買い物に出向けるため、行けない人から頼まれごとをしている。代金を明確にするため、自分用と頼まれ物は別会計にしたり、帰りに届けたりと、手間がかかる。それはそれでいいとしても、いずれそれもできなくなる。そうなる時を今のうちに考える、ではなく、すでに実行しなければならなくなっている。
[参考サイト]
・バス時刻表 平日
・バス料金表 (Page:10/12)石巻駅~湊町~女川運動公園
実家に関して言えば、自分が同居すればひとまず解決するのだが、地域の就職事情は、世間一般の人手不足のイメージとは違って簡単ではない。IT系でも求人は見かけることがあるので、人手不足ではあるのかもしれないが、月給が15万円では二の足を踏むしかない。採用されるかどうかもわからない。
以下では、一般化して考えてみる。
イオンなりヨークベニマルなりの配送拠点を誘致する。店舗ではなく、各戸への配送を行う。
注文はチラシベースで、電話か、ネットか、紙に書いてFAXか、紙に書いたものを収集するか。
現実的には、これで今と同等の利益が上がるかどうかが勝負になるが、大規模スーパーというのは、そこに大勢がこぞって来てくれるから、店側の手間が集約できて手間が省けるのだ。細かいことをするのは得意ではなく、また、人件費の面でも、経験の少ない業務に対応するのでも、難しいかも知れない。
今後、社会がどういう方向に進むかも関係してくる。このまま過疎地域が増え、人口減が続く一方となり、売上が減っていくという予測がされるのであれば、ある程度の手間をかけることに意義はある。
逆に、弱者を切り捨てても、(人口密集地域への移転者が増えるなどで)売上が落ちない見込みが立っていれば、業態を変える必要もないと判断されるだろう。
これは、ずばりヤクルトである。今も、ヤクルトやジョアの購入契約があれば定期的に戸別販売をしている。契約していなくても、訪問することはあるだろう。
そして、ここはヤクルト社の取り扱っている、うどんなどを注文販売している。
だから、戸別配送なども同様に行える。
一方で取扱品目の問題がある。牛乳一つとっても、どのメーカーのどの銘柄といった取扱はできないだろう。また、現状扱っていない生野菜などの販売を新たに始めるのは負担が大きい。生野菜は、選択に好みの問題もあり、同じようなものでも、店先であれこれ選り分けているのを見ることがある。
これは、住宅を点在させず、すべて一箇所に集約するということだ。行政が進めるのか住民が進めるのかはわからないが、集約させて、そこに店を設置する。大型集合住宅を並べ、中央に商店街があるイメージだ。住人には買い物はすべてそこで済ませてもらう。
そして、元気なものは遠いエリアに住み、弱っていくに連れて中央に移転する。外出がままならない人には、注文取りと戸別配送を行う。
ある段階でこれができたとしても、その後、人口減が進むなら、また同じ問題が起こるだろうから、少し遠い未来においては、これもまた無駄なことかもしれない。ただ、人口減についてはまたその時点で考えるしかなく、例えば100年を目処に設計し、50年経った時点で次を考えて実行するといったサイクルにするのがよいと思う。
変な小見出しだが、言いたいことは、ある程度の規模での集団生活ということである。
そこでは、家族や親族や小さい村のような生活をし、助け合って生きていく。動けるもの全員で労働し、例えば野菜を作り、加工もして、外部地域に売って現金を得る。外部の人に依頼しなければいけないことは、依頼するが、どこの誰それさんの買い物、家の修理、蛍光灯の取替といったものは、誰かしら担当者がいて、面倒を見る。
そういった集団であれば、持続できると思う。
なにやら、怪しい宗教団体のような出で立ちに見えてしまうが、イタリアの田舎的なまちをイメージしてもらうのが良い。そういった内容を放送するTV番組があるのだが、不便でありながら、たいていのものは近隣で手に入り、作ったものを分け合ったりしている。今更だが古き善き時代ということになるのみ、だろうか。
話題はそれるが、食品の廃棄率はそれなりに高いらしい。ある資料では、「本来食べられるのに廃棄されているもの、いわゆる「食品ロス」は、年間約500~800万t」とある。
[参考サイト]
・日本における食料ロス・廃棄の発生メカニズム II 日本の「食品ロス」の現状
最近は、生鮮食品売り場に、ある程度に切り分けられてパックされた冷凍野菜のコーナーができている店もあるらしく、ニュースでそういった内容を伝えていた。味が落ちるとも限らず、逆に凝縮されて旨味が増すとか、小分けで販売されたり、収穫シーズンに加工するため1年中、同じ価格帯で販売でき、当然ながら消費期限が伸びて廃棄されることが少なくなる(消費者に見向きもされなければ廃棄されるだろうが..)。
この動きをさらに進めれば、つまり、冷凍野菜等の利用を一般化すれば、買い物はとても楽になる。痛み具合をチェックすることもなく、産地を気にすることもなく、余ることも気にならず、ある期間で消費するであろうものをまとめて発注するだけでよい。
こうなれば、現業態でのスーパーであっても、ヤクルト宅配であっても、比較的容易に宅配可能ではないか。生のものがいいという気持ちは残るだろうが、そこにこだわりすぎれば、状況は変わらない。若年層の割合が減っている中では、こういった変化も受け入れるべきだと思う。加工品なら輸出も容易だから、ビジネスであっても援助であっても新しいことができるだろう。
以上